手塚治虫の一生

年表


手塚治虫とトキワ荘

 トキワ荘とは東京都豊島区南長崎三丁目に1952年から1982年にかけて存在していた木造アパートの事をいいます。手塚治虫ら著名な漫画家が居住していたことで有名なこのトキワ荘ですが、今現在はもう解体されてしまっています。しかし、彼、手塚治虫とそのほかの漫画家の歴史はほとんどここから世界に発信されて行っていたと言っても過言ではありません。そんなトキワ荘ですが、場所は変わったものの、その意思を継ぎ「トキワ荘プロジェクト」として、現代に蘇っています。

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現代版トキワ荘もある

 現在トキワ荘プロジェクトという物が施行されており、低賃金住宅の提供、講習会イベントの開催、マンガを仕事にするための書籍を発行するなどといった事を行っていっています。いち早くプロとして自活することができるようになるためのい、アルバイトの時間を減らして自己投資や本業に集中する時間を作れるようにすることが目的とされております。実際に入居者同士で切磋琢磨出来るようなコミュニティーを形成するために、入居審査があったりと、実際にトキワ荘が運営される上であった要素などが見事に生かされているプロジェクトだと言えるでしょう。

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年表

  • 昭和3年11月3日-大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市)に生まれます。
  • 昭和8年-兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)に引っ越す。この頃から母と共に宝塚歌劇に親しむ。
  • 昭和10年-池田師範附属小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校)入学。
  • 昭和16年-大阪府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)入学。
  • 昭和20年3月、北野中学を卒業。勤労動員中6月の大阪大空襲に遭遇。7月、大阪帝国大学附属医学専門部に入学。
  • 昭和21年1月4日、『マァチャンの日記帳』(少国民新聞)でデビュー。
  • 昭和22年-『新寳島』発表。
  • 昭和26年-1年留年し、大阪大学附属医学専門部(旧制)卒業。毎日放送開局時のアナウンサー採用試験に合格。偶然通りかかり、受験してみたら合格したことを同局の番組『あどりぶランド』で語っています。
  • 昭和27年-医師免許取得。『アトム大使』からのスピンオフ『鉄腕アトム』を引き続き『少年』に連載。東京都新宿区四谷に下宿する(四谷交差点(北西角。メトロ2番入り口前)「成木屋青物店」の2階。後の「四谷快談」の舞台。『鉄腕アトム』等の執筆場所)。
  • 昭和28年-東京都豊島区のトキワ荘に入居。
  • 昭和33年-第3回小学館漫画賞受賞(『漫画生物学』『びいこちゃん』)。
  • 昭和34年-岡田悦子と結婚。『週刊少年サンデー』創刊号から『スリル博士』を連載します。
  • 昭和36年-奈良県立医科大学で医学博士の学位を取得。長男・眞が誕生。
  • 昭和38年-自ら社長を務める虫プロダクションを率い、日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作。フジテレビにて1月1日から放送。
  • 昭和40年-日本初のカラーアニメシリーズ『ジャングル大帝』をフジテレビにて10月6日から放送。長女・るみ子が誕生。ニューヨーク世界博覧会の特派記者として渡米した際に同会場で偶然、ウォルト・ディズニーと生涯ただ一度の対面を果たします。W3事件。
  • 昭和42年-『COM』創刊。
  • 昭和45年-『火の鳥』で第1回講談社出版文化賞児童まんが部門を受賞。日本万国博覧会(大阪万博)にて「フジパンロボット館[145]」をプロデュース。『アポロの歌』に性的描写があるとして、一部地域で発売禁止に処されます。
  • 昭和46年-虫プロ社長を退任。(虫プロ商事の社長は継続)。
  • 昭和48年-虫プロ商事・虫プロダクション破産。経営から退いた後も、手塚は多額の債務保証を実行していたため債権者に追われる身となるが、友人の葛西健蔵(現・アップリカ・チルドレンズプロダクツ会長)が後見人となって、版権の散逸は免れた。『週刊少年チャンピオン』に『ブラック・ジャック』連載開始。
  • 昭和50年-『ブラック・ジャック』により第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞を受賞。『ブッダ』、『動物つれづれ草』により第21回文藝春秋漫画賞を受賞。
  • 昭和52年-『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』により第1回講談社漫画賞少年部門受賞。講談社『手塚治虫漫画全集』刊行開始。
  • 昭和54年-巌谷小波文芸賞受賞。
  • 昭和58年-『陽だまりの樹』により第29回(昭和58年度)小学館漫画賞受賞。
  • 昭和59年-『ジャンピング』でザグレブ国際アニメーション映画祭グランプリを受賞。
  • 昭和60年-『おんぼろフィルム』で広島国際アニメーションフェスティバルグランプリ受賞。漫画家生活40周年、『手塚治虫漫画全集』完結により、講談社漫画賞特別賞受賞。
  • 昭和61年-『アドルフに告ぐ』により、第10回講談社漫画賞一般部門受賞。
  • 昭和63年-体調悪化により急遽入院。胃癌と判明します。11月1日、大阪教育大学附属池田小学校にて生涯最後の講演を行います。
  • 平成元年2月9日、胃癌のため半蔵門病院にて死去(60歳没)。戒名は伯藝院殿覚圓蟲聖大居士。死後に勲三等瑞宝章叙勲。日本SF作家クラブ主催第10回日本SF大賞特別賞受賞。
  • 平成2年-東京国立近代美術館で回顧展。権威ある美術館で、死亡して1年足らずで回顧展が開かれた。漫画家の国立美術館での回顧展は空前絶後であるといいます。同年、全業績に対し第19回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。
  • 平成5年-第4期手塚治虫全集刊行開始。平成9年12月に全400巻完結。
  • 平成6年-兵庫県宝塚市に、宝塚市立手塚治虫記念館が開館します。これのメモリアル公演として宝塚歌劇団花組が第80期生初の舞台公演として、『ブラック・ジャック危機な賭け』『火の鳥』を上演。
  • 平成14年-米アイズナー賞の「漫画家の殿堂」入り。
  • 平成16年-『ブッダ』の英訳版がアイズナー賞最優秀国際作品部門を受賞。
  • 平成19年-平成20年に生誕80周年を迎えることを記念して、手塚治虫作品を読者の手で選んで発行する『手塚治虫O(オンデマンド)マガジン』のサービスが開始されます。
  • 平成20年-生誕80周年を記念して小学館から過去のコミックの特装版、純金製アトム等の商品の発売、出身地宝塚でのイベント、アメリカ合衆国サンフランシスコでの手塚治虫展、広島国際アニメーションフェスティバル、東京国際映画祭で過去に自身が手がけたアニメ作品が特集されて上映。
  • 平成21年-江戸東京博物館で特別展「手塚治虫展」開催。
手塚治虫の一生

不朽の名作//